砂肝で家は建てられない

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三浦しをん「舟を編む」

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

三浦しをんという作家

三浦しをんの作品を読むのはこれが3作目。

今まで読んだ本が「光」「格闘するものに◯」だったので、この人がどういう作家なのかよく分かっていなかったけど、他の人の話を聞く限り「光」が例外的な作風で、基本的にはもっと暖かだったりユーモラスだったりする作風らしい。

 

※「光」…ある島で起きた大災害での数少ない生き残りである3人の子供が成長し、心に闇を抱えながら生活するなんともドロドロしたお話。

※「格闘するものに◯」…就活中の女子大生の日常を綴った話。名前こそ出さないがある出版社の事をめっちゃけなしてて面白い。作者の実体験も多分に入ってるんじゃないかと。

 

不器用ながらも懸命に辞書に取り組む登場人物たち

本屋大賞を受賞した作品で、辞書をテーマとした物語なんて本当に面白いのかという疑問はあったけどとても楽しめた。

ある出版社のなかの辞書を作成する部門の中のお話で、部署文字に対する鋭い感性を持ちながら、不器用にしか生きられない主人公の馬締を中心として物語が進む。

出版社本部からの様々な要求をこなすために、辞書の話がなかなか進まずに、途中で時間が10年以上経過するシーンがあるが、その時間の経過の中でも辞書に対する意欲を全く失わない登場人物たちにグッとくる。

 

言葉が思考を型作る

本の中に「言葉は記憶そのもの」というような文章が出てくるけれど、この文章を読んだ時にいくつか思い出すことがあった。

1つは、小さい頃に親からもらった「色の本」的なものを読んだ時のことで、イヌイットには雪の色を表す様々な言葉がある、というのをその本で知った記憶がある。

僕らには「白」という言葉しかないせいで、イヌイットの人たちには感じることのできる雪の色の違いを感じることが出来ないという事が子供心にとても印象的で、「言葉が思考を規定する」ということを実感したのはその時が初めてだった。

 

もう1つ思い出すのがジョージ・オーウェルの「1984年」。

こちらは徹底した言論統制、思考統制のために、政府が国民のボキャブラリーを徐々に減らし、思考を単純化させていくようなお話(単純化された言語のことを作中で「ニュースピーク」と呼んでいる)。

本の最後に「ニュースピークの諸原理」という項目があって、いかに国民の思考を単純化させていくかの方法論がとても興味深かった。

 

印象に残った文章

・なにかに本気で心を傾けたら、期待値が高くなるのは当然だ。愛する相手からの反応を、なにも期待しないひとがいないように。

・「なに、下駄箱は死語か?」(登場人物の1人、荒木の言葉。個人的にも下駄箱という単語が死語扱いされてて驚いた)

・「記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです」

・「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない」

・生命活動が終わっても、肉体が灰となっても。物理的な死を超えてなお、魂は生き続けることがある(以下続く)

 

感想

ドラマチックな出来事があるわけではなく淡々と物語は進んでいく。

四版作成時のトラブルを乗り越え辞書が完成した際は、「あれ、もう終わり?」という感がなくはなかった。ただその淡々と進む物語の中での登場人物たちの考え方にはとても胸を打たれた。

読みやすい文章なので興味がある方はぜひ。

 

 

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)